昨日は日本に復帰してから40年らしく・・・。
年齢ばれるので,復帰のとき何歳だったか?生まれていたかは?内緒ににして・・。
沖縄は、昔は外国だったようです。
むかーし、看護の専門学校の、古----い!倉庫の備品に琉球政府のロゴがあり
なんじゃーここりゃーーーーと叫んだものです。
本土いくのも、パスポート必要だったらしい・・・。うーーん。
私は、沖縄に住んでいながら、沖縄の近代史というものがあんまりわかりません。
どうやって復帰を勝ち取ったか?アメリカ領として残らなかったのか?
よくわかりません。
アメリカ領だった頃も今も、あんまり沖縄の人への日本や、米軍人からの対応は
変わっていないような気もします。
基地協定も基本は変わらず、軍人悪いことしても逃げるしいぃ~~~~。
基地に関しては46都道府県からは、村八分らしいいし・・・・・。
オスプレイも、山口県が拒否したら、配備あきらめたくせに、沖縄には居直って
今飛んでるCHヘリのほうが危険?オスプレイはまだまし?(これってブラックジョーク??)
・・・・強制的に配備って、やりきれません。
某何々党だかの総理大臣も来ないで欲しいと思った。何しにくるんじゃい。
関東から放射能避難の方~~~
飛行機や、ヘリが落ちてきまっせ!!
基地には核があるかもしれないので、放射能被害があるかもしれませんよぉ~~。
沖縄は安全じゃありません。
復帰前には基地のお膝元、コザや、辺野古には色々と、事件があったようです。
私が習ったのは、コザ暴動!米軍から不当な扱いを受けた沖縄県民が
暴動を起こした模様。
沖縄領土としてアメリカに取られるハメになった先の第二次世界大戦・・・・。
この戦争ために、沖縄の人は、悲しみ病み、つらさを味わったのに・・・。
その後もアメリカ領にとられ・・・・・。
復帰40年もなお、同じ状況なのは沖縄県民の努力が足りないせいのでしょうか?
復帰や、沖縄戦後のことを、検索していたら、
あの明るい、喜納正吉のハイサイおじさんの秘話をみつけました。
あの、明るい唄にひめられた愛と、やるせなさを感じました。
このブログは子供たちも読むので話の内容はのせませんが。
沖縄のマスコミが言うように、沖縄戦は終わっていず。
現実を知っている、年配の方々がこの世を去り
口を開く人が減っているので・・・・・・・。
風化していっているだけ・・・・・。